松本潤担当になったきっかけ
いつかブログ作りたいなぁと思っていたら、毎回素敵な記事を書かれているあややさんがこれまた素敵なお題を提示されていたので、全力で乗っかることにしました。あややさん、きっかけをくださりありがとうございます!
以下、本題までだらだらと長い上に余談を挟みすぎた自分語りが続きます。
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1.黎明期
ジャニーズとの出会いは小学校低学年頃のV6やKinKi Kidsだったと思う。ちょうど彼らがデビューした頃であり、当時のシングルのサビくらいは音楽番組等で耳にして歌っていた記憶がある。しかし興味があるかと言われればそうでもなく、おそらくお決まりの質問である「光一くん派?剛くん派?」にも話を合わせるためにしか答えていなかった。
ちなみに「剛くん」と便宜的に答えた結果だと思うのだが、私の手元には剛くんの下敷き(1999年夏コン)がもたらされた。大きなサイズで使いやすく、後に腐女子となる私の机に常に置かれ、創作時に使用された。(もちろん下敷き本来の使い方で)ジャンルがコロコロ変わる性質なので部屋に最も長期間存在していた『グッズ』は、もしかしたらこの下敷きかもしれないくらい付き合いが長い。
当時はJr.黄金期とも呼ばれる時代であり、御多分に漏れず私も『8時だJ』を視聴していた。しかし顔と名前を覚えることがすごく苦手で、能動的に観ていた記憶があるにも関わらず、タッキーと翼くんくらいしか個体識別ができなかった記憶がある。言い換えれば、やはり彼ら2人の存在感は圧倒的だったのだろうと思う。
なお、上述の剛くん下敷きをくれた友だちは姉の影響とかでJr.にも興味を持っていたらしく、家に遊びに行った際にタッキー直筆のFAX(たぶん元禄繚乱出演時)を見せてもらったことがある。昔のJr. 情報局(?)はFAXを使用していたのだと、15年越しに記憶が知識となった。
私の記憶にある、最も古いジャニーズからのデビューは嵐である。めざましテレビで流れるデビュー会見映像観ながら(今度はこの人たちを覚えないと…)と、思った。案の定「誰が好き?」と聞かれ、なんとか特徴や立ち位置を伝えたところ「松潤だよ」と教えられたのでこの日から私は松潤ファンになった。もちろんピックアップした一人が本当に松潤だったか知る術はない。しかし、10年以上越しでジャニヲタとして開花するにあたり、この思い込みは多少なりとも影響しているように感じている。
この頃、ジャニーズのファンなるものは雑誌を買って切り抜き、ブロマイドを買い持ち歩くものと思い込んでいたので、何ヶ月かMyojoを購入して切り抜き、ファイリング(今思えばコラージュ)していたのだけど、めんどくさがりに続けられるはずもなく、しばらく後に挫折したのだった。
2.テニミュ、特撮俳優ヲタ期
その後はテニスの王子様にハマり、転げ落ちるみたいに漫画アニゲのヲタク、そして腐女子となる。三次元とかセンスないとか思って過ごした中学時代だったが、遊戯王から声優(KENN)経由でテニミュにハマり、早々に三次元の世界に復帰。歌手・俳優にも関わらずアイドル体質な売り出し方に馴染んでいく。高校大学の頃はライブや舞台、握手会に行くようになり、また自由にできるお金も増えていったため、フットワークも軽くなった。この経験は間違いなく、ジャニヲタとして遠征するハードルを下げたと思っている。
ちなみに俳優とジャニーズ(デビュー組)の双方のファンをやって感じた違いを端的にまとめると、
①雑誌の種類と金額…俳優の載る雑誌は種類が少なく単価も高い。一方ジャニーズは多岐にわたり、テレビ誌など単価の安いものも選択肢に入れられる(てか俳優さんの時は選ぶまでもなく全買いだし、テレビ誌に載ろうもんならちょっとした祭りだった)
②接触機会…俳優さんは写真集やトレカ、カレンダーを発売する際に握手会を行い、購入数によってポラを一緒に撮れたり、サインを入れてもらえたりする。私は握手会に行くことを「イケメンに合法的に触る」と言い、大事なイベントとして位置づけていた。裏を返せば、これ以外に観る機会もほぼなかったとも言える。一方ジャニーズで接触と言えばコンサートのファンサ。タッチくらいならあるかもしれないけど、ほとんどが自分かも分からない指さしで号泣できるくらいジャニヲタに接触機会はない。
こんなかんじ。
若手俳優ヲタをしていると、ジャニーズは目の上のタンコブでしかなかった。連ドラの貴重な若手枠を埋めるジャニーズに嫉妬し、よくある「チャラチャラしてて女ウケだけは良い事務所の名前を笠に着た実力のない奴ら」なんて思い込みをしていた。
ちなみにそんなアンチ気味な立場からの嵐ブレイクに関する印象は、
花より男子で松潤の名前を思い出す
↓
(山田太郎ものがたりで「嵐の二宮櫻井とかwwおっさんだろwww」と高校生役を20代のジャニに盗られたと思い込み荒れる)
↓
truthをやたら耳にする。これ良い曲やん…
↓
え、なんかやたら嵐出てこない…?(この時期はまだ大野相葉は名前すら知らない)
↓
10周年
だったような気がする。
3.そしてジャニヲタへ
ようやく本題。友だちの影響で少しずつ嵐を知り、DVDを見せてもらうなど、いわゆる布教を受け始める。
振り返ると、自分がジャニヲタになるまでには大きく3ステップあった。
①強化合宿
ご存知風景コンDVD特典の強化合宿。この時はまだ、ジャニヲタになるなど思いもしなかった。しかし彼らの会話のおもしろさ、関係の和やかさ、仕事へ取り組む姿勢、それらを目の当たりにして(いいなぁ、私の好きな人たちにも、こんな機会があればなぁ)と思ったことを覚えている。
この時いいなと思ったのは嵐の関係性が主であった。ファンになるなんて思ってなかったので、この中で誰がいちばん好きなんてたぶん考えなかったと思う。あまり記憶にない。ただ、友だちと嵐の話しをするにあたって、デビュー当時は「松潤が好き」だったことを口に出すようになり、それに比例して松本潤に視線を注ぐ機会も増えていったように思う。
②ワクワク学校へ登校
①から3ヶ月後、ワクワク学校へ登校する機会に恵まれる。その間は特にジャニヲタになるわけもなく、変わらず俳優さんの動向を追っていた。初めてのジャニーズ、初めてのドーム。いつもはホールだからこんなにたくさんのファンで溢れかえることはない、さすが国民的アイドルと圧倒された。合宿DVDを見せてくれた友だちに同行したのだが、デビュー以来のファンながらその日が初めての現場だった彼女は、最後感極まって泣いてしまった。私も芸能人のファンをしているのに、姿を見られただけで泣くなんて経験したことがない。そこでより一層、彼らの立場や人気を再認識したのだった。
ちなみにワクワク当日に強化合宿の収録されたDVDを購入した。
③テレビ露出の多さとファンブログ
ワクワク以降、レギュラーバラエティを録画するようになった。当時グループでのレギュラーが週に3本。連ドラに出てなきゃ月イチ配信のネットラジオ的動画が関の山だった俳優オタには多すぎる露出であった。現行の情報ですら、追っても追っても追い切れない。
また、ネットで彼らのことを調べるようになった。そこで重要な情報をもたらしてくれたのが先輩諸姉方のブログである。過去のエピソード紹介やバラエティのレポ、彼らのパーソナルデータ。彼らを知るごとに彼らを好きになっていく。しかも過去エピすら無尽蔵かと思うほど、調べれば調べるほど(真偽は別として)出てくる出てくる…
気付けば24時間テレビはほぼ24時間貼り付き、CDを予約、雑誌も購入するようになった。そして彼らへの熱量が高まっていった頃、ポプコンの開催が発表され、ほぼ迷いなくFCに入会したのだった。
しかしこの頃は、大っぴらにジャニヲタになったと口にできなかった。だって当時好きだった俳優さんに興味がなくなったわけではないし、すごく飽きっぽいためすぐ興味なくなるかもしれないとも思ってたし…
観念したのはポプコン名古屋で嵐のパフォーマンスを生で観て、松本さんとお呼びしていたところを、潤くんと変えたあたりかなと思っている。
つまり、私にはきっかけと呼べるほどセンセーショナルなできごとはなかったと言える(本末転倒)
きっかけはなかった。けど、小学生当時の「松潤ファン」という言霊みたいな記憶。その上に、2012年3月から2013年1月の実に10ヶ月という、まるで出産みたいな年月が積み重なって、わたしはゆっくりとジャニヲタに、そして、松本潤担当になっていったのだ。